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ジェーケーローリングさんのスピーチ②

はなしいてみましょう。

ジェーケーローリングさんのスピーチ②
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自分の人生を運転するのに、充分な年齢になった瞬間から、責任はすべて自分にあります。


それに、私が生活に困ることのないようにと、願う両親を非難することなどできません。


両親も私もずっと貧しかったので、貧しさはいいものではないのです。


 


貧しさは、恐怖・ストレスにあいます。そして、絶望にもたびたび襲われます。


それは屈辱、困難の連続であります。


自分の力で貧しさから抜け出せたことは誇りになりますが、貧しさ自体を美化することは愚か者だけがすることです。


 


私が皆さんと同じくらいの歳のときに、一番恐れていたことは、”貧しさ”ではなく、”失敗”でした。


大学では大学の勉強よりも、カフェで物語を書いて過ごし、授業にはほとんど出ませんでした。試験にパスするコツだけを覚えるばかりで、それが何年も私や仲間たちの人生における成功の基準でした。


 


私は、皆さんが若くて才能や教養があるからといって、これまで、困難や苦悩がなかったと思うほど、私はバカではありません。


才能と知性をもっていても、運命の気まぐれから避けられることはありません。


皆さんが何事もなく満たされた人生を歩んできたとは思いません。


 


しかしながら、皆さんがハーバード大を卒業するという事実は、皆さんが失敗にあまり慣れてはいないということではないでしょうか?


 


皆さんは、成功への欲望と同じくらい、失敗への恐怖があるかもしれません。


実際、皆さんはすでに高いところまで上り詰めました。


皆さんが失敗と思うことは、一般的な人が成功と考えることと、そんなに違わないのかもしれません。


 


本来なら、自分自身で失敗の基準を決めなければなりません。


しかし、世間の基準がありそれを押し付けられ従うことは簡単です。


 


そして、どのような基準に照らして合わせてみても、卒業式後の7年間における私の失敗は、ひどいものでした。


 


結婚生活は短い期間で破綻し、シングルマザーで仕事はなく、ホームレス一歩手前の最低の貧しい生活を送っていました。


 


両親や自分自身が恐れていたことが現実となり、世間の基準に照らし合わせてみると、自分が知る誰よりもひどい大失敗でした。


 


私はここで、皆さんに「失敗は楽しい」とお伝えしたいわけではありません。