日本語を学ぶ
スティーブジョブズ氏のスピーチ①
お話を聞いてみましょう。
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世界で優秀な大学の卒業式に参加できて光栄です。
私は大学を卒業していません。
実は、今日が人生で一番「大学卒業」に近い日です。
今日は人生から学んだ、3つのことをお話させてください。
たいしたことはありません。たった3つです。
まずはじめは、点と点をつなげる、ということです。
私はリード大学をわずか半年で退学しました。しかしそれからも、1年半は大学に居続けました。
しかしなぜ、私は学校を辞めたのでしょうか。
そのわけは、私が生まれる前までさかのぼります。
私の産みの母親は未婚で大学院生でした。
まだ大学院生だった母は、私を養子に出すことに決めました。
産みの母は、大学院を出た人に私を引き取ってほしいと考え、弁護士夫婦との養子縁組が決まりました。
ところが、この夫婦は直前になって「本当は女の子が欲しい」と言いました。
こうして養子縁組順番待ちのリストに載っていた育ての親となる私の両親のところに、電話がかかってきました。
「男の子が生まれたのですが、引き取る気はありますか」と。
両親は「もちろん」と答えました。
しかし、生みの母は、養子縁組の書類にサインするのを拒否しました。
育ての親となる母は大卒ではないし、父は高校も卒業していないからです。
産みの母が数カ月後にようやくサインをしたのは、育ての両親が私を必ず大学に行かせると約束したからでした。
これが、私の人生のスタートです。
そして17年後、私は本当に大学に行くことになりました。
しかし、スタンフォード並みに高い学費の大学でした。なので、労働者階級の両親は蓄えの全てを私の学費に使うことになりそうでした。
そして半年後、私はそこまで犠牲(両親のお金)を払ってまで、大学に通う価値が見出せなくなりました。
その時は、自分が人生で何をしたいのか分からなかった。それに、大学に通ってもそれが見つかるとは思えなかった。私が大学に居続けても、両親が生涯で蓄えたお金を使い果たすだけでした。
そして、私は大学を辞めることにしました。それでも大丈夫なんとかなると信じました。
当時は迷いもしたし決断が怖かったです。でも今振り返ってみると、人生で下した決断の中でもっともいい決断だったと思います。大学を辞めたことで、興味を持てない科目を受けなくなった。そのかわり、面白そうな授業に潜り込んで学びました。
ですが、よいことばかりではありませんでした。私には寮の部屋もなかったので、友達の部屋の床で寝ました。
コカ・コーラの瓶を店に返し5セントをかき集めることで、食べ物が買えました。そして、週に一度はあたたかいご馳走にありつこうと、毎週日曜日に7マイル(11㎞)歩き、クリシュナ寺院に通いました。