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【差替待機】論語読みの論語知らず

はなしいてみましょう。

【差替待機】論語読みの論語知らず
  • 3分25秒

 日本には「論語読みの論語知らず」ということわざがあります。これは、本をたくさん読んで知識はあるけれど、それを生かして実行できていないことを表しています。


 


 本というのは、昔から今この時も出版され続けていて、膨大にあります。


 論語読みの論語知らずにならないでいるには、本をあまりにもたくさん読んではいけないような気がします。つい、あれもこれも、こっちはどうか?あっちは?というように、いろいろ読みたくなるものですが、そうしているうちに日が暮れるどころかいくつか年月が過ぎ去ってしまうように思います。実践する時間がとれないでしまってはなんの意味もありません。


 


 中には、たくさん読んだうえで自分に合ったものだけを実践していけばいい、それを見つけるために多くの本を読むべき、という意見もあります。確かにその通りかもしれませんが、それにしても無期限にだらだらといつまでも探し続けていては意味がありません。


 


 もし、本ばかり読む時間が増えて、生身で経験することが減ってしまえば、かえって見える世界が狭まってしまいます。


 


 よく、本を売り出そうとしている広告や、様々な場面で、「この本を読めば人生が変わる」などとありますが、そんなようなことは決してありません。本当にないのです。「人生が変わる名言」もありません。出会った人や出会った人の言葉で人生が好転にも転落にも変わることはあります。ですが、安心してください。本によって、人生やだらしない自分が変わることは一切ないのです。


 


 知識だけ蓄えて実践はぜず、本を読んでも人生が変わらないなら、なんのために、本で知識を蓄えるのでしょうか?孤独が好き、楽しいからなどという理由ならいいでしょう。


 


 けれど、少しでも自分を成長させたいと思うなら、何冊も何冊もただ読むだけでは、「論語読みの論語知らず」になります。自分を成長させたいと思うなら、1冊の本のなかで言っていることを徹底的に行ったり、自分自身で何らかの勉強やアクションを起こしたりして、むしろ自分が本を書く側になれるくらいの行動をするのです。このようなことのほうが、ただ何冊も本を読むよりはるかに自分を成長させてくれるでしょう。


 


 もちろん、全く読まなくていいというわけでもないと思います。文章を読む力は、筋力トレーニングと同じで、やり続けることで力がつきます。現実世界の経験じゃ補いきれない世界や経験を本は見せてくれます。


 


 いちばん大切なのは、バランスなのでしょう。