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【差替待機】ゴッホはただの狂人ではない

はなしいてみましょう。

【差替待機】ゴッホはただの狂人ではない
  • 4分35秒

世界的に有名な画家の「フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ」。


彼が生まれたのは、オランダです。


 


ゴッホのキャリアは、画商からスタートしました。


画商をしていく中で、ゴッホ自身も絵を描くようになりました。


画商としても、それなりに優秀だったのですが、下宿先の女性に恋をしてしまいさらに玉砕してしまいました。このことがきっかけで仕事に身が入らなくなってしまい退職しています。


 


その後、教師、書店員と仕事を転々としましたが、最終的にはゴッホの父親や祖父が牧師だったことから、自身も牧師になるのだと発起します。しかし、受験に苦戦し、牧師をあきらめざるを得ませんでした。そこで、牧師と近い、伝道師になろうとしましたがそれも上手くいきませんでした。


 


結局、どの職業も長くは続かず、27歳の時に画家になることを決意します。


しかし、画家としてもなかなか芽が出ず、実家からの仕送りと弟テオからの仕送りを頼りに生活をし絵を描く日々が長く続きました。


 


ゴッホはたびたび、周囲の人と揉め、自分の耳を切り取るなどの問題行為や、精神的な発作を起こしました。それでも弟のテオはゴッホの絵の価値を信じ支援を続けました。


 


しかし、ゴッホの絵がようやく評価され始めたころに、ゴッホは拳銃で自分を撃ち自殺をしました。


 


ゴッホが亡くなったあと、弟のテオも追うように亡くなりました。


弟テオの妻だったヨーがゴッホの絵を広めるために活動し、その甲斐もあってか、ゴッホの絵は世界的有名な絵になりました。


 


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精神病院に入りながらも、狂いながらも、絵を描いていくゴッホ。


彼の絵柄は独特で、誰の作品とも似ていないオリジナルだが、やはり人生を知ってしまうと、狂いながら描いているゴッホの姿を想像してしまう。


しかし、ゴッホの絵をよく見てみると、油絵の具を重ね塗りにしていてボコボコしていて、絵の具の流れが景色の流れを感じさせているようなタッチは計算しつくされて出来ている。ただ単純に重ね塗りしてしまうと、私たちがゴッホの絵を見る今頃になると、パキパキに割れてはがれてしまうそうだ。そのようなことがなく、死後130年経っても美しい絵でいられるのはすごいことだ。


ゴッホは狂いに狂って描き散らしたのではなく、計算し、考えながら絵を描いていた。厚塗りではなく薄塗りに描き、色彩の研究もし、油絵の具の硬さや色などの配合はきちんと考え作られている。情熱だけで描き散らしてしまっては、あのような絵を描くことができない。


ゴッホが支持される理由に、彼の生き方などが多くあげられるが、実は彼の作品がこうして残っているのは彼の高い技術力あってのことで、画家としての実力があるのだ。