日本語を学ぶ
しんじる世界がほんとうの世界
お話を聞いてみましょう。
- 3分55秒
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ゆみ子さんは、7年前にミャンマー人のナインさんから言われたことが、ずっと心に残っているそうです。
ナインさんはゆみ子さんの20さい年上で、ナインさんの子どものアイさんとゆみ子さんはお友だちです。
あるとき、ゆみ子さんはナインさんとお話をしていました。
何かの話のながれで、ナインさんがこう言いました。
「何が本当かじゃなくて、自分のしんじる世界がほんとうの世界なの。」
この言葉は、ゆみ子さんの心の中にずっとのこりました。
この言葉を、さいしょにきいたときは、深くかんがえることはしませんでした。
でも、3年たっても、5年たっても、7年たっても、わすれることはなく、ふとしたしゅんかんにその言葉を思い出しました。
はじめて、ナインさんのその言葉をきいたときは17さいでした。
7年たっていまは24さいです。
17さいのときには、わからなかったけど、24さいになって少しだけ分かるようになった気がしました。
「しんじる世界がほんとうの世界……」
――日本には、ようかいとか化けギツネはいるけど、海外にはいない。
海外には、あくまがいて、エクソシストもいるし、とりつかれている人もいる。だけど、日本にはいない。――
しんじた世界がほんとうのげんじつにみえる世界なのかもしれないとゆみ子さんも思えてきました。
しゅうきょうによっても、世界かんは、ちがってくるでしょう。
しゅうきょうをしんこうするひとにとっても、神さまがいないと思う人にとっても、その人たちのしんじる世界がほんとうの世界なのだと思えます。
そして、人は、自分の見たいものばかりが目に入り耳に入るそうです。そうでないものは、あまりきおくにのこりません。さらに、「すき」「きらい」「うれしい」「むかつく」などのかんかくも人によってちがいます。おなじ人生の1日でも「しあわせだ」と思う人もいれば「しあわせじゃない」と思う人もいます。
ゆうれいは、見える人と見えない人がいます。見えない人のおおくは、ゆうれいのそんざいをしんじないでしょう。だけど、ゆうれいがいるかいないかは別として、見えた人がいれば、それはゆうれいがいたことになります。
しんじれば、見えてくることもあるし、しんじていることにのっとって、みえる世界はつくられていきます。